年明けに論文を書いて思い出したこと

年明けの過ごし方

 2年ぶりに年明け早々論文を書いて過ごしています。

 2年前の今ごろは、修士論文締切直前。研究室にこもって最後の追い込みをしていたところでした。さらに2年前の今ごろは、卒業論文締切直前。学部の学生控室にこもって最後の追い込みをしていたところでした。

 今回の論文はそんな「提出できないと留年」論文ほど切実でもなく書くべき分量も少ない、勤務校の研究紀要の原稿です。それでも、紀要に載る文章となるときちんとした文章を書きたいし、昔取った杵柄というもので、つい気合が入ってしまいます。そういうわけでこの年始は、ここ数年(卒論・修論前を除く)にないほど静かに、家に引きこもってのんびり考え事をしては文章を書いて過ごしています。

 とはいえまともに書く論文のが2年ぶりともなると、やはり勘が鈍っている。全然うまく書けない。少しも原稿が進みません。論文を書くには勘も必要だと思いますが、うまく書き進めるための技術も必要だということを改めて感じます。「そういえば学生時代にはこんなことを意識していたなあ」ということを、色々思い出してきました。原稿執筆の息抜きがてら、なんとなく書いてみたいと思います。そんなに特別なことは書きません。

論文を書くときに心がけたほうがいいこと

アウトラインはあらかじめ固めておいたほうがいい

  論文に限らず、まとまった文章を書くときに時間がかかるのが、どういう構成で文章を書こうかということです。とりあえずwordを開いて、漠然と章構成を考えて執筆しようとしても、なかなか上手くはいきません。wordを開くのは、ある程度章構成が固まってからのほうがいい。

  1. 頭の中で何となく章構成を考えてみる。
  2. 書きあがったらwordに章の名前だけ打ち込む(進んだ感が出てよい)。
  3. その後ノートに章構成を書き出して、各章の内容を大まかにメモする。
  4. その内容に沿って各章を書いてみる。
  5. ある程度書けたところで、流れを見つつ全体を調整する。

 こういう流れで書くのが理想かなと、今のところ思っています。もちろん書いてみてより良い文章の流れがあることに気づく場合もありますが、それも書いてみないとわからないことです。構成を考えて、全体をいくつかのパートに小分けすることで、各パートが書きやすくなってくるというのも、メリットだと思います。

細かいことを気にせずとりあえず文章を書いてみたほうがいい

  文章を書くのに時間がかかる理由のひとつに、しっくり来る1文をなかなか書けないことがあります。これが最大の理由といってもいいかもしれません。読んですっきりする文章を書こうと思うと、1文が書けたそばから推敲にかかって、文の「てにをは」など様々なところをある程度納得行くところまで直せたところで、次の文に取り掛かる。ついそんな風に文章を書いてしまいます。とりあえず一気呵成に文章を書いてみて、ある程度まとまった文章が書けたところで推敲にかかるほうが、同じ時間で書ける量は多くなります。とはいえ自分が生み出した「駄文」に目を瞑りながら書き進めるのはなかなかに苦しい。

時間を区切って文章を書いたほうがいい

  「駄文」に目を瞑るようにするためには、書く時間に制限を設けることが有効です。1文レベルで書いたそばから推敲をしだすときは、執筆の時間に限りを設けていない場合が多いです。限られた時間である程度の分量を書かなければいけないという制約があれば、多少の文章の拙さをある程度大目に見ることができるようになる。まとまった文章に限らず、文章を書くときには制限時間を決めて書くことが重要。言い換えて、この時間は何かを書く時間と決めることが、文章量産には有効です*1。そうこの本に書いてありました。

bookclub.kodansha.co.jp

まとめ

 2年前に修論を書いていたときに「こう書き進めればうまくいく」と思っていたことは、とりあえず書くことと、とりあえず書くための時間の枠を決めておくことにまとめられるかと思います。でもこのことは、『できる研究者の――』に書いてありました。記事を書きながらふと読み返して、ちゃんと書いてありました。学生時代に読んだこの本から受けた影響は未だに残りつつも、その影響は技術としてはまだ身についてはいないようです。意識しながら書く力を高めていくことが重要だろうと思います。

*1:ここで紹介した『出来る研究者の論文生産術』では、「まずは週4時間から始めよう」と書いてありました。文章を書くことは多くの現職教員にとって優先度が低くなりがちなこと(今回の私のように校務の一環で文章を書かなければいけないという場合を除いて)です。そういう意味でも、書くことを目的にするという点からも、今年は改めてがんばってみようと思います。

発信力を高める

 2019年、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。「1年の計は元旦にあり」とはよく言うもので、今年の記事は今年の目標から。

目標:発信力を高める。

 今年の目標は「発信力を高める」こと。2つに分けて詳しくまとめていきます。

①アウトプットの量を増やす

 去年の8月に、このブログを立ち上げました。

pinkie-du.hatenablog.com

  日ごろは主にtwitterで、教育に関することを主に発信してきました。140字で思ったことをとりとめなくつぶやくことと、まとまった字数を書いて考えを整理することは全然違うもの。ブログでしか書き表せないものもたくさんあるし、書くことで自分の考えも整理できる。そういう思いで始めたものでした。

 とはいえ2018年振りかえってみると、投稿した記事は6記事のみ。書こうと思っていたネタも記事化されずに多数放置されています。自分の中で温めていても、世に出なければ考えていないことと同じである。世で正しく評価されることで、考えもより磨かれる。ブログを立ち上げたものの全然書けなかったということは、去年の大きな反省の一つです。

 ブログに限らず、日ごろの職場で思うこと、こうすべきだということを溜めずに発信すること、日ごろの実践を頭の中にとどめずに整理してアウトプットすること、いずれも重要なことだと思います。完成された綺麗な文章を出そうとするのではなく、とにかくアウトプットするということに意義があることもある。アウトプットの量を増やすことが今年の目標です。

②アウトプットの質を高める

 子どもと関わり、子どもの成長を支える仕事に就いている教員にとって、その子どもたちにどのような言葉をかけるかは、きわめて重要で、敏感にならねばならないところです。授業中の説明ひとつとっても、使う言葉や話す順番次第で子どもの理解は大きく変わる。教員が投げた何気ない一言が生徒の励みになることもあれば、生徒を傷つけることもある。教員の言葉は生徒にとって重いものです。それを自覚し、自らが使う言葉に対する意識を高めていく。それがひいては自らのアウトプットの質を高めることにもつながっていく。

 

 さて今年はいくつ記事を書けるのか。忙しさを言い訳にせずに、アウトプットをサボらない。2019年もがんばります。

2017年のプレテストの感想を振り返ってみよう。

 気づいたらずいぶん長らく更新が滞っていました。ブログを続けるのは難しい、書きたいことはあるけれど仕事終わりにパソコンに向かって、自分の思考をまとめるのには相当なエネルギーが要る、そんなことを感じています。

 それはさておき、今週末の土曜・日曜日は、大学入学共通テストの試行調査が行われます。昨年度の試行調査よりも規模が大きくなり、昨年度の問題の反省も踏まえ、より2020年度の共通テストに近い問題が出題されることになるでしょう。私も解いたうえで、レビューを書きたいと思っています。

 今年の問題について考える前に、昨年の試行問題を解いた感想をまとめてみたいと思います。それを念頭に置いたうえで今年の試行調査を見ることで、見えてくるものもきっとある筈です。ツイートべた貼りの記事ですが、どうぞご覧ください。

 

 

日本史のマークテストにおける「正しいもの」「適当なもの」とは?

はじめに

 先日とある研究会に参加して考えたことから書き連ねるシリーズ第2弾。ちなみに前回の記事はこちらです。

 

pinkie-du.hatenablog.com

 

 今回取り上げたいのは、社会科をはじめ多くのテストで登場するこの文言について。今回の記事では特に日本史のマーク式のテストを想定しますが、「正しいものを選べ」「適切なものを選べ」にはじまり、「正しい語句を記せ」「適切な語句を埋めよ」など、社会科のテストでは「正しい」「適切な」という語句が散見されます。ほとんどの場合ではそれは、「事実として」正しいということを指してきました。しかしながら果たしてそれだけでいいのか。それについて、

  1. 「正しい」「適切な」とは果たして事実的なものだけ指すのか。
  2. それを踏まえ、われわれ教員は作問をする時に何を心がけるべきなのか。

 この2点について少し考えてみたいと思います。

「正しい」「適切な」とは果たして事実的なものだけを指すのか。

 社会科とは「内容教科」であるとしばしば言われます。特に高校の日本史とは「我が国の歴史の展開」を理解することを目指す教科であるとされており、授業において正確な事実を伝えること、そしてそれが確実に身についているかを評価することは、日本史の学習において最も重要なことであると言っても過言ではありません。現に授業を組み立てる際やテスト問題をつくるときには、事実のファクトチェックに相当入念に取り組みます。

 これまでのテストでは事実に関する知識の理解を問うことが多かったこともあり、「正しい」というとそれはとりもなおさず「事実として」という枕詞がつくものだと考えられる場面がほとんどでした。しかし、これからの試験では必ずしもそうはいかなくなっている。2017年11月に行われた大学入学共通テストの試行問題(以下:プレテスト)を例に考えていきましょう。なお、その問題については大学入試センターのホームページからダウンロードできます。

 例えば、第4問の問4の問題。

f:id:livingvein:20180904205225p:plain

 a~dの選択肢そのものは、歴史的事実としてすべて正しいものです。しかし、ここでは「那覇市の昆布消費量が多いことの歴史的背景となる」事項として適当なものの組合せを選ぶことが求められています。すなわち、「ある事実の背景として」適切かどうかを問う問題であると言えるでしょう。

 もう一問、第5問の問2を取りあげてみます。

f:id:livingvein:20180904205824p:plain

 この問題では、ある歴史的事実に対する「評価とその根拠」の組合せとして適当なものの組合せを選ぶことが求められています。X・Yの各文からわかるように、賛否両論の評価に対し、どの根拠によって立つことが妥当なのかを測る問題です。

 

われわれ教員は作問をする時に何を心がけるべきなのか

 先日出席してきた研究会でも、問題作成において(当然ながら)多くの先生が問題文に「正しいものを選べ」「適切なものを選べ」の語を用いていました。しかしその多くは、従前からの「(事実として)正しいもの」に留まっていたように感じます。また、チャレンジングな作問をする一方で単に問いには「正しいものを選べ」としか記されておらず、どのような観点で「正しい」ものを選ぶことを求めているのか不明瞭なもの、場合によっては問いが成立していないものを見受けられました。

 プレテストの問題自体には批判も多く、今後さらなる修正がくわえられていくことが考えられます。それについては、今年11月に行われる試行調査での動向を注視する必要があります。しかし、これからのテストの方向性そのものは、大きく変わることはないでしょう。すなわち、年代配列や語句選択、正誤判断など「事実として」正しいものを選ぶ問題にとどまらず、その背景や評価とその根拠など、「推論のプロセスが」適切なものを選ぶ問題も増えてくるということです。

 今後テストにおける「正しい」「適切な」が何を以てなのかという選択肢がより広がっていくことは間違いありません。授業においても事実として正しい知識を獲得することにとどまらず、そこから歴史的な見方・考え方を働かせて思考・判断・表現する活動がより重視されていくことからも、その流れは間違いないものだといえます。だからこそ、われわれ教員は1つの問題で何を測りたいのか、そしてそれを確実に測定するためにも「いかなる観点から」正しいものが何かと問うているのか、明確に示す作問を行わなければいけないでしょう。

言語能力は各教科の文脈に沿ってすべての教科目で育まれなければならない

はじめに

 つい先日、高校の歴史教員が対象の研究会に参加してきました。そこで考えたことを、全2回のシリーズでまとめていきたいと思います。
 第1弾:言語能力は各教科の文脈に沿ってすべての教科目で育まれなければならない
 第2弾:社会科の筆記テストにおける「正しいもの」「適当なもの」とは?(仮)(近日公開)

第2弾を公開しました(9/4更新)。

pinkie-du.hatenablog.com

 その研究会では、3人程度のグループを組んで各自史資料(以下:資料)を持ち寄り、それを用いた問題を作るという活動が行われました。いわゆる「作問検討会」です。各自が資料を持ち寄り、どれを使って作問するかを決め、グループで問題をブラッシュアップし、そして完成して提出。最後に全体で発表し、質疑や意見等を交換するというのが大まかな流れでした。
 グループでの作問中、あるいは全体での発表会の中で幾度となく聞かれた言葉がありました。

“資料を読むだけの問題”だと国語の問題になるもんね。

 発する人によって含意はそれぞれだとは思いますし、(そもそもこの研究会の趣旨からも)多くの先生方が資料読解を要する問題を作る重要性を認識しているであろう一方、どういう位置づけでそれを作っていくかは慎重に考えていかないといけません。

「読解力の問題⇒社会科では扱わない」となってはいけない

 上の言葉に対してまず懸念するのは、

  1. 資料(特に文書や説明文などの文字資料)を読むことは国語科の範疇にあたることで社会科ではない。
  2. よって、そのような能力を測る試験を社会科で出す必要はない。

 という考えに至らないかということです。これに対しては、平成30年3月に出された『高等学校学習指導要領』、ならびに同年7月に出された『高等学校学習指導要領解説総則編』にこのように記されています(以下、下線部は筆者)。

 ○『高等学校学習指導要領』第1章総則 第2款教育課程の編成 2(1)
 各学校においては、生徒の発達の段階を考慮し、言語能力、情報活用能力(情報モラルを含む。)、問題発見・解決能力等の学習の基盤となる資質・能力を育成していくことができるよう、各教科・科目等の特質を生かし、教科等横断的視点から教育課程の編成を図るものとする*1

 ○『高等学校学習指導要領解説総則編』第3章教育課程の編成及び実施 第2節教育課程の編成 2教科等横断的な視点に立った資質・能力 ア言語能力
 言葉は、生徒の学習活動を支える重要な役割を果たすものであり、全ての教科等における資質・能力の育成や学習の基盤となるものである。教科書や教師の説明、様々な資料等から新たな知識を得たり、……ことができるのも、言葉の役割に負うところが大きい。したがって、言語能力の向上は、生徒の学びの質の向上や資質・能力の育成の在り方に関わる重要な課題として受け止め、重視していくことが求められる。
 言語能力を育成するためには、第1章総則第3款1(2)や各教科等の内容の取扱いに当たっての配慮事項に示すとおり、すべての教科等においてそれぞれの特質に応じた言語活動の充実を図ることが必要であるが、特に言葉を直接の学習対象とする国語科の果たす役割が大きい。……言語能力を支える語彙の段階的な獲得も含め、発達の段階に応じた言語能力の育成が図られるよう、国語科を要としつつ教育課程全体を見渡した組織的・計画的な取組が求められる*2

 この2つに記されていることをまとめると、

  •  言語能力の育成は国語科を要としてすべての教科等で行わなければならない。
  •  各教科等では、それぞれの特質を生かした言語能力の育成を行わなければならない。

 といえるでしょう。

「社会科の特質を生かして育てるべき言語能力」とは?

 では、社会科の特質を生かして社会科で育成すべき言語能力とはどのようなものなのでしょうか。「歴史総合」の目標を例に考えてみます。

(1)近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を理解するとともに、諸資料から歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする*3

 ここでいう「諸資料から歴史に関する様々な情報を効果的に調べまとめる技能」とは、『高等学校学習指導要領解説地理歴史編』において次のようなものと説明されています*4

  1. 課題の解決に向けて必要な社会的事象に関する情報を収集する技能。
  2. 収集した情報を社会的事象の歴史的な見方・考え方*5を働かせて読み取る技能。
  3. 読み取った情報を課題の解決に向けてまとめる技能。

 日ごろの授業では資料を収集することから指導していく必要がありますが、筆記テストでの資料の取扱いを考えると、2・3の技能の測定が深くかかわることになります。そうした技能を有しているかを測定できるテストを、我々社会科の教員は日々作成していかないといけないし、同時にそうした技能を身につけさせるための授業づくりを行っていかないといけません。

おわりに

 歴史学習において、そして歴史のテストにおいて資料を読むという活動は切っても切り離せません。その資料を読めるか否かを、単に読解力の有無と判断し、「読解力の育成は国語科だけに任せればいいんだ」「読解力を測るテストを社会科で問う必要はない」と開き直ってはいけないということを、ここで改めて述べたいと思います。そのために、これから社会科の教員が意識しないといけないと考えるポイントが、次の3点です。

  1. 歴史学習で「歴史資料を読む」という教科固有の学習活動を行っている以上、そこで求められる力を明確にして授業の中で育成し、それを確実に評価しないといけない。
  2. 社会科の「見方・考え方」を働かせて資料を読むことこそが、社会科固有の育成すべき「読解力」である。
  3. 社会科固有の育成すべき「読解力」を育むことを通して、すべての学習に通じる読解力の育成の一翼を担わなければいかない。

 じゃあどういう授業をつくればいいんだ、どういうテストを作らなければいけないんだ、そういう問いに対して答えられるようにならなければならない。それが私の今後の課題です。

*1:文部科学省『高等学校学習指導要領』2018年、p.5。

*2:文部科学省『高等学校学習指導要領解説総則編』2018年、pp.53-54。

*3:文部科学省『高等学校学習指導要領解説地理歴史編』2018年、p.123。

*4:同上。

*5:歴史的な見方・考え方とは、「時期、推移などの変化に着目して社会的事象を見出し比較して共通性や相違点などを明確にして事象相互の関連性に留意」する追究の視点や方法と考えられています。

【次期学習指導要領シリーズ②】「時代を通観する問い」に答えられる授業づくりを

次期学習指導要領での地理歴史科の科目の変化

 高等学校地理歴史科の次期学習指導要領(以下:「指導要領」)やその解説(以下:「解説」)は、従来のそれらから、量的にも質的にも劇的な変化を遂げています。具体的にいくつか挙げてみると、

  1. 従来の世界史A・日本史Aに代わり、新科目「歴史総合」が必修科目として登場。
  2. 従来の地理Aに代わり、新科目「地理総合」が必修科目として登場*1
  3. 従来の世界史B・日本史B・地理Bはそれぞれ、「世界史探究」「日本史探究」「地理探究」となる。

 つまり、すべての科目構成と、どの科目が必修科目かが変わることになります。ここで注意しなければならないのは、従来のA科目がそのまま「総合」科目になり、従来のB科目がそのまま「探究」科目になったのではないということです。「歴史総合」「日本史探究」ともに従来の科目とコンセプトを大きく異にしています。しかしその中には、「A/B科目」であるか「総合/探究科目」であるかに関係なく日々の授業を考える上で重要となる考え方も含まれています。その一つを、「日本史探究」の中で挙げられている概念を手がかりにまとめてみようと思います。

 なぜ「指導要領」「解説」は分厚いのか

 その前提として、「指導要領」が現行のそれに比べてどのように変化したのか、改めて確認しておきます。ひとつ前の記事でも述べていますが、「指導要領」や「解説」は、現行のそれらと比べて圧倒的に分量が多くなりました。

pinkie-du.hatenablog.com

 その要因として、大きく以下の3つが挙げられます。

  1.  各教科・科目の目標が、学校教育法で規定される「学力の三要素」に合わせる形で詳細に記述されるようになり、「何ができるようになるか」が明確になったこと。
  2. これまでの学習指導要領では「何を学ぶか」に関する規定に留まっていた記述が、「指導要領」では目標の達成のための学習活動の展開が詳細に書き込まれたこと。
  3. その記述に加え、さらに「解説」では各学習活動の中で想定される探究テーマや、教員の主発問なども詳述されたこと。

 要するに「指導要領」「解説」では、これまで教員のさじ加減による部分まで教室での学びの様子が相当に詳しく、かつ構造的に述べられているといえます。そして、「指導要領」が法的拘束力を有するものである以上、われわれ教員はその流れに依拠した授業づくりをしていかねばなりません。

 日本史探究における「時代を通観する問い」

 では、新科目「日本史探究」ではどのような過程で学習を進めていくことが想定されているのでしょうか。簡単にまとめると下の3手順となります。

  1. 問いを立てる
  2. 問いに対する仮説を見出す
  3. 問いと仮説をふまえ、その時代がどのような時代だったのかを理解し表現する

 この過程の中で立てられる問いを、「指導要領」では「時代を通観する問い」と呼んでいます。「時代を通観する問い」の定義は「解説」にあるのですが*2、簡単に言うとこの学習過程からもわかるように、「古代/中世/近世/近現代とはどのような時代か」という問いであると言えるでしょう。上記の過程で学習が進むならば、その問いは学習者たる生徒自身が立てなければいけないものであり、学習者が問いを立てる力をどう養うかは今後考えていかねばならないでしょう。また、多くの地歴科教員にとって、日々の授業を探究型にシフトすることがすぐにできないことであるというのもまた事実だと思います。しかし、「時代を通観する問い」とそれに対応する答えは、教員自身が日々念頭に置きながら実践をしなければいけないものであると強く言いたい

まとめ―なぜ日本史で知識を身につけるのか―

 日本史の学習で、学習者も教員も多くの知識に触れることになります。その知識の量・細かさが果たして適切なのかについては賛否あるということは一旦置いても、その知識を得ること自体が目的であるのではないということは、間違いないでしょう。個々の政治的事件や社会の営み、経済の動向、文化財の特徴を整理したうえで、それらをもとにして多面的に、時代の特色を考察することこそが日本史学習の目的です*3。つまり、個々の事実的知識は、「それがみられる時代は○○な特徴をもつ時代である」という理解につながるものでなければなりません

 そうした理解を生徒に獲得させるためには、まず教員自身がその理解をもっていなければなりません。言いかえると、「時代を通観する問い」に教員自身が答えられなければならないのだと言えます。

 「時代を通観する問い」に基づく学習を行わねばならなくなるのは、「指導要領」が施行される2022年度以降のこと。しかし「時代を通観する問い」を教員自身がもつこと、そしてそれを学習者に考えさせることは、明日の授業からでも始めなければいけないことだと考えています。

*1:普通科高校で地理が必修となっていたのは、昭和35年告示の学習指導要領が最後でした。つまり今回の地理系科目の必修化は、約60年ぶりのことになります(詳しくは、https://www.nier.go.jp/guideline/s35h/chap1-2.htm

*2:「解説」p. 193に、「時代を通観する問い」を「前の時代からの変化と新たな時代に成立した社会との関係や、その変化が時代を通じて定着していく理由や条件などを考察するために、生徒自身が設定する『問い』である」と定義されている。

*3:現行学習指導要領解説の「科目の性格」にも、「我が国の歴史の展開について、政治や経済、社会、文化、国際環境など各時代の特色及びその変遷にかかわる総合的な考察や、それに基づく歴史的思考力の育成が重要である。この点に、高等学校段階の日本史学習としての『日本史B』の特性があるといえる」と書いてあります。

【次期学習指導要領シリーズ①】これから書き連ねていくこと

 2018年3月30日に、新しい高等学校学習指導要領(以下:「指導要領」)が告示されました。その解説(以下:「解説」)が、2018年7月17日に文部科学省ホームページにて公開されました*1。多くの教科でもそうだと思いますが、「指導要領」が分厚くなったのと同様に、「解説」の分量も相当なものになっています。twitterの私のアカウントでもそのことにはとりあえず言及していて、「解説」の地理歴史編は現行のそれに比べて約3倍のページ数となりました。

 「解説」の内容に関して思ったことをつらつら述べていこうとしていたこともtwitterで言っていましたが、思ったよりも夏休みが忙しくこれまで全くできていませんでした。夏休みの間に「解説」を読み進めて考えたことや、この夏休みに受けた各種研修で見聞きしたことをふまえながら、「指導要領」や「解説」に関して思うことや考えることなどをいくつかの記事に分けてまとめていこうと思います。

 今のところ書こうと考えている内容は以下の通りです。順不同、これ以外に書く内容が増えてくるかもしれませんし、挙げたはいいけれども書かないということもあるかもしれません。ただしいずれの内容も、「指導要領」や「解説」を読んだうえで考えておかなければいけないだろうと思うものです。

・「日本史探究」における「時代を通観する問い」をどうとらえるか。

・「歴史総合」の授業をどうデザインするか。

・次期学習指導要領のもとでの「教員の専門性」とは何か。

・「言語能力の確実な育成」を目指すために各教科ですべきこととか何か。

・地理歴史科における「指導要領」の移行措置に関して。

・現行学習指導要領からの標準単位数の変化をどうとらえるか。

随時更新していこうと思います。