小・中・高の「日本史」学習指導要領を読み比べてみた

はじめに

 小学校6年生の社会科の授業で、私たちは初めて日本の歴史を学びます。その後中学校の社会科歴史的分野で再び日本の歴史を学び、さらに人によっては高校の日本史Bの授業で日本の歴史を学びます。高校を卒業するまでに、少ない人でも必ず2回、多い人は3回、原始から現代にいたるまでの日本の歴史を学ぶことになります

 一般に、小学校の歴史は「人物学習」、中学校の歴史は「通史学習」と言われます。3回の日本史学習は単に同じことを繰り返し学ぶというわけではなく、生徒の発達等に鑑みて学校段階ごとにそれぞれ固有の目的のもと、授業が行われます。……そのはずです。しかし、現場では(少なくとも高校では)、校種に応じた日本史の学びの違いがさほど意識されていないのが実態のように感じます。直接聞いたわけではないのですが、とある研究会で「高校での日本史は3度目の通史学習だ」と話していた高校の先生もいたようです。それはちょっと違うんじゃないだろうか。

 そういう訳でこの記事では、小・中・高の日本の歴史に関する学習指導要領の目標を読み比べることで、各学校の日本史学習の特徴を改めて整理したいと思います。その中で、高校の日本史(ここでは日本史Bを指す)で何が求められているのか、改めて考えてみたいと思います。

 なお、小学校ではこの春から次期学習指導要領が施行されますが、ここで扱う学習指導要領は、すべて現行学習指導要領とします。この記事自体がそもそも来年度の新高2の授業準備の一環で学習指導要領を読み比べて気づいたことをまとめたものなので、新高2は現行学習指導要領での学びを経た世代であるということから現行学習指導要領を題材にしています。次期学習指導要領でも同じことはいずれやってみたいと思いますが、目標が相当詳細になっているのでやるのは大変そう……気が向いたらやってみたいとは思います。

各学校段階の学習指導要領

 では早速、小・中・高それぞれの学習指導要領を読み比べてみましょう。後述しますが、所々で入っている丸数字や色分けは、筆者(私)によるものです。

○小学校:第6学年の目標(1)

 ①国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について②興味・関心と理解を深めるようにするとともに、③我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする

○中学校:歴史的分野の目標(1)*1

 歴史的事象に対する関心を高め、①我が国の歴史の大きな流れ、④世界の歴史を背景に、各時代の特色をふまえて理解させ、それを通して⑤我が国の伝統と文化の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、③我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる

○高等学校:日本史Bの目標

 ①我が国の歴史の展開を④諸資料に基づき地理的条件や世界の歴史と関連付けて総合的に考察させ、⑤我が国の伝統と文化の特色についての認識を深めさせることによって、③'歴史的思考力を培い、③国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う

系統性の論点

  以上のように読み比べてみると、小・中・高の歴史学習の相違点として、次の6点を論点として掲げることができるでしょう。

何を学ぶか

 小学校の社会科では「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産」が学習対象であり、ここから、小学校の歴史学習は人物学習であるという特徴を読み取ることができます。また、優れた文化遺産世界遺産などが想定されます)など具体的な文化財を手がかりに、文化の特徴を理解していくことも特徴であるといえるでしょう。

 中学校の社会科では、「我が国の歴史の大きな流れ」が学習対象であり、ここから、中学校の歴史学習は通史学習であるという特徴を読み取ることができます。一方、高校の日本史Bは「我が国の歴史の展開」が学習対象とされています。「流れ」と「展開」にどのようなニュアンスの違いがあるのか、この点はよく整理しないといけません。今後の勉強の課題です。

学習内容に対するどのような生徒の態様を目指すか

 小学校では、学習対象への興味・関心と理解を深めることが目指されています。また、中学校では理解すること、高校では総合的に考察することが、それぞれ求められています。ここでいう「考察」とは、「調べ考えることを重視して理解させる」ことを意味しています*2。すなわち、小学校で歴史に対し興味・関心をもち、中学校で理解し、高校で調べ考える活動を重視しながら理解するというように、学びの質が深まることが想定されていると言えるでしょう。中学校の通史では、「時代の流れ」を理解するという点から学習の中心が政治史に置かれがちですが、高校日本史では、考察にあたって政治、経済、社会、文化、国際環境など多面的・多角的な視点から歴史的事象に対する理解を深めることが求められるという点も、大きな違いでしょう

何が最終的な目標か

 小学校では「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情」をもつこと、中学校では、「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」こと、高校では、「国際社会に主体的に生きる日本国民としての自覚と資質を養う」ことがそれぞれ目指されています。それぞれが教科・科目の最終的な目標であり、ここにも校種による段階性を読み取ることができます。また、高校日本史で「歴史的思考力」の育成が掲げられていることも大きな特徴です。

何を手がかりに学ぶか

 中学校では「世界の歴史を背景に、各時代の特色を踏まえて」歴史の大きな流れを理解することが目指されています。すなわち、通史的な理解を獲得するために、各時代の特色をふまえることや、世界の歴史を背景にすることが手掛かりになることが分かります。

 一方、高校では「諸資料に基づき」「地理的条件や世界の歴史と関連付けて」歴史の展開を総合的に考察することが求められます。資料に基づく学びが求められるのは中学校の歴史にもあてはまることではありますが*3歴史を理解する上で資料に基づく学びが重要であるということは、高校日本史の大きな特徴であるといえます。また、世界史にとどまらず地理的条件と関連付けて歴史を学ぶこともまた大きな特徴である。

我が国の伝統と文化の特色をどうとらえるか

 中学校では我が国の伝統と文化の特色を「考えさせる」ことが、高校では「認識を深めさせる」ことがそれぞれ求められています。これは、上述の中学校での通史学習を受けて、多面的・多角的な歴史考察を通じて我が国の伝統と文化の特色に対する認識を深めていくことが一層求められているということだと思います。

おわりに(まとめに代えて)

 このように学習指導要領を読み比べてみると、高等学校の日本史Bならではの特徴が色々と見えてきます。中学校との対比では、「流れ」と「展開」の違いをここでは明確に説明できていないので、高校日本史=通史学習ではないというには少し弱いのですが、少なくとも政治史重視で歴史の「流れ」を理解させる中学校の歴史に対し、政治・経済・社会・文化・外交などの視点から歴史の「展開」を考察させる高校日本史では、より多面的・多角的な視点から歴史認識を深めさせることが求められると言えるでしょう。だからこそ、日本史Bの目標には「歴史的思考力を培う」ことが求められているのだろうと考えられます。

 したがって、高校日本史が単なる通史学習の焼き直しとなってはいけません。中学校での通史学習の成果を踏まえつつ、中学校の学びでは見えなかった歴史的事象の新たな側面を高校日本史の授業を通して生徒自身が明らかにできるよう仕組むことで、生徒の歴史認識を深めることこそが、高校日本史の学びで求められているのではないでしょうか

*1:中学校社会科歴史的分野の目標は、(1)~(4)までの4項目から成り立っていますが、(1)が歴史的分野の基本的な目標を示すことから、今回は目標(1)を対象とします。

*2:文部科学省『高等学校学習指導要領解説 地理歴史編』より。

*3:中学校歴史的分野の目標(4)には、「・・・様々な資料を活用して歴史的事象を多面的・多角的に考察し公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる」とあります。

文章の「国語」的・「社会」的な読み方

国公立前期試験が終わりました

 受験生のみなさん、本当におつかれさまでした。わたしも各大学の日本史の問題を見て、「今年の○○大の問題はこうだった」とか「この史料いろんな大学使い過ぎじゃない?」とか、いろんなことを考えるここ数日間でした。

 これで受験は終わり、今日(が多かったんじゃないでしょうか)は卒業式だ!という人もいれば、後期試験に向けて(「結局対策する必要なかったね」となればいいなあと思いつつ)対策をしている人もいるんじゃないかと思います。そんな感じで、後期入試対策をしている中でのふとした話。簡単に言うと、「読解力ってなんなんでしょう」というお話です。

後期入試の小論文対策

問題の概要

 ここ数日、とある大学の後期入試の添削指導をしています。その大学の試験問題は、いくつかの課題文(合わせてA4で10ページくらい)を読み、その論旨をふまえて個人の考えをまとめるというもの。よくあるオーソドックスな小論文試験だと思います。そういう試験の場合、論旨を正確に捉えられないと的外れな解答になってしまうので、まず文章の論旨をその学校の志望者全員で確認したうえで、各々が小論文を書いて添削を受けるという形で指導をすることになりました。その論旨をとる作業を、一緒に指導をする国語の先生にお任せして、わたしは課題文を読んで自分なりに論旨をとった上で、その授業に同席しました。そのときに気づいたのがこんなこと。

「国語」的な読み方と「社会」的な読み方

 国語の先生が文章を読んで、要旨をとっていくときには、当たり前ですがその文章の構成や構造を厳格につかみ、指示語や接続語を丹念に拾いながらパラグラフのキーセンテンスをつかみ、全体の要旨をとっていく。そこでは一切の外的要因は考慮されず、文章に書かれていることがすべてという姿勢で要旨がとられていく。そこには一切の反論の余地もなく、唯一解たる論旨が授業の終わりにはできあがっていました。

 そういう読み方や、読み方の指導が求められるということは、学生時代に聞きかじった記憶があります。学生時代に国語の教職課程で学んだことは、ああこういうことだったのかと思いながらその先生の話を聞いていました。

 一方で、日本史で求められる「文章を読む力」とはなんだろうと同時に考えてみると、外的要因すなわちその文章が置かれている「文脈」を切り離すこととは真逆の、極めて文脈依存的な読解力なのではないかと感じています。ここでいる「文章」とはもっぱら過去に残された「文書史料」を想定しているのですが、われわれ地歴科の教員がそうした「文章」を扱う場合、「誰がその文章を書いたのか」「その文章が記されたのはいつか。いかなる時代背景のもとで記されたのか」など、きわめて状況依存的に読んでいきます。

 話は少しだけずれますが、大学院で研究をしていたとき(今も本業のかたわらで研究ちっくなことをしていますが)、論文を読むにあたっては著者の所属、掲載されているジャーナル、この論文が掲載された時期の社会情勢など、論文外にある様々な要因に意識をめぐらせ、その上で論文を読んでいました。そうした要因が書かれている内容を理解する妨げになる場合もありますが、一方でそうした要因が論文の理解の助けになる場合も多分にあるからです。すなわち、論文を読むときも、日本史で文書史料に触れる場合も、その文章が置かれた文脈に依存しながら文章内容を理解する場合が多いし、その必要があるといえるのではないでしょうか

各教科等に固有の「読解力」とは

 結局のところ、国語の先生がとった論旨と私がとった論旨とでは、そう大きな違いはありませんでした。読み方に違いはあったとて、異なる読み方をしたことで読み取れる結果が全くちがう文章は、入試においては「駄文」でしょう(もちろんその国語の先生の方が一日の長の差で圧倒的に正確に論旨を捉えていましたが)。しかし、論旨は同じでも、そこからうかがい知れる情報の違いが、読み方の違いによってあらわれるのではないでしょうか。そして、国語科で育成されるべき「読解力」を基盤にした上であらわれるそれらの違い、すなわち各教科等の文脈に読むべき文章を置いたときに何が読み取れるかを嗅ぎ取る力こそが、国語科以外の各教科等でこそ育てられる「読解力」ではないのでしょうか。

 次期学習指導要領では、各教科等において言語活動の一層の充実を図ることが求められています。また、2020年度から実施される大学入学共通テストでも、各教科等で読解力をより要求される問題が出されることが、過去2回の試行調査からもうかがえます。そうした問題を目にしたときに、「なんだ国語の問題じゃないか」「もう少し【自分の担当教科・科目】らしい問題を出してほしいねえ」という言葉はどの教科でも聞かれるのではないかと思います。

 そうした言葉に対し、「文章が置かれる文脈に読みが依存するかしないか」という観点から、「読解力」というものについて考えてみることが、ひとつの視点になるのではないかという気がしています。そんなことを感じつつ、小論文指導をしている今日このごろです。

蛇足

 頭の中でいろいろ考えていても、書く力がそれに追いつかなくて、思っていることを出しきれていないような気もしています。そういう意味でも、国語科で育成される「読解力」や「書く力」こそが、各教科等のそうした力を支えるものになるだろうということは言うまでもありません。ただ、ここまでえらそうに書いてきましたが、私自身が国語教育の専門家では一切ない(免許を一応持ってはいるけれどペーパーティーチャーです)ので、そもそもの指摘自体が間違っている可能性も無きにしも非ずです。

2019年度大学入試センター試験日本史B分析まとめ

はじめに

 大学入試センター試験が実施されてはや約1ヶ月。大学入試センターからの最終集計も出され、日本史Bの平均点(最終)は63.54点という結果になりました*1。2018年度の日本史Bの平均点が62.19点でしたから、若干の易化ということになりました。大いに裏切られました。というか、いろいろな意味で裏切られました。

 センター試験実施日に早速問題を解き、twitterで雑感的に分析を呟いていましたが、約1ヶ月が経ちいい感じに寝かせられたところで改めて試験当日のツイートをもとに分析を改めてまとめてみたいと思います。

センター試験と大学入学共通テストは分けて考えるべき?

 60点くらいの平均点を目指して作られるセンター試験に対し、大学入学共通テストは50点くらいの平均点になるそうです。2018年11月に実施された試行調査では、日本史Bの平均点は約53点でした。その平均点に少しずつ寄せていくということ、2017→2018年度で易化したので2年連続の易化はないだろうということ。この2つの理由で今年は難化すると踏んでいたのですが、予想に反した易化となりました。また、史資料の活用が一層重視される一方で今年の問題で図版問題が1問も出題されなかったこと*2は極めて意外でした。2018年の本試で新傾向の問題が問われていた*3こともあり、新しいタイプの問題がなにかしら出るのではとも踏んでいましたが、そんなこともありませんでした。センター試験があと2年で終わるから、センターも新テストの趣旨を踏まえたものになるのでは…?という考えは間違っているのかもしれません。センターはセンター、共通テストは共通テストと割り切るべきか。ある先生が話していましたが、「センター試験の在庫処理」が進んでいるのかも。

きちんと努力をすれば高得点が取れる問題

 

 過去問にしっかりと取り組んでいれば、「あ、この問題過去問演習でやったやつだ!」となる問題が少なくないというのも、2019年度センターの特徴だったように感じます。また、基礎的・基本的な知識・技能を測る問題が中心で、高校での学習内容を正確に理解し、確実にアウトプットできるように演習を積んでいれば高得点が狙える問題だったのではないかと思います。

 思考力・判断力・表現力をどう育成し、どう生徒を深い学びに誘うかを日々苦心している高校教員の側からすると、「面白くない問題」と切り捨てたくなる問題ではありました。ただ、その面白い/面白くないの判断は実際に試験会場で問題に取り組んだ受験生とは全く違った問題の見方です。受験生の立場からすると、「努力の成果がしっかりと現れる問題」というのは良心的な問題なのだろうと思います。また、思考力・判断力・表現力の育成を目指す中で疎かにされがちな「基礎的・基本的な知識・技能」の定着がやっぱり重要であるという、大学入試センターからのメッセージも込められているのでは…?とも考えています。

概念的な理解を問う問題→深い学びの重要性

 歴史用語を問うのではなく、ある歴史的事象が「どのような結果を与えたのか」を問う問題。ベーシックな問題が多かった今年のセンターですが、その中では若干異彩な、でも非常に今後の学びに重要な示唆を与えてくれる問題が下の問題でした。

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 設問としては【空欄エ】の直前直後をきちんと読めば、読解力だけでもなんとかなるとも言えるものです。また、リード文にヒントがあるというものでもなく、「ドッジ=ラインがどういうものか」ということへの理解の有無が正答のカギとなるのがこの問題です。しかし、こうした問い方も日本史の試験ではアリなんだということ、むしろこういう問いを積極的に取り入れていくことで、歴史的事象のメカニズムを理解することを促し、生徒の概念形成を目指すことが今後ますます重要になってくるでしょう。

1990年代は歴史の世界?

 戦後史が例年より多めというのも今年のセンターの特徴*4でした。特に1990年代の歴史が問われたことは、センター試験後のネットニュース等でも話題になっていました。平成最後のセンター試験ということで平成史が問われたのか、約30年前のことは歴史学の射程に捉えられるものなのか、さまざま考えることがあります。そして、1990年代生まれの私としては、ついに自分が生まれてからのことが日本史で問われるのかと、歳をとったことを感じた問題でもありました。

おわりに

 センター試験当日のツイートからいくつかを抜粋し、改めて今年のセンター日本史Bの特徴を整理してみました。他にも大問の設問分析など、twitterに載せています。ぜひ読んでいただけると幸いです。

 大学入学共通テストに向けて浮き足立っていた自分にとって、今回のセンター試験大学入試センターから「まあ落ち着きなさい」と言われたような問題でした。筆記テストで思考力・判断力・表現力をどう測定するか、授業でそれらをどう育成するかが重要視される昨今ですが、それらは基礎的・基本的な知識・技能あってこそ活きるものです。それらを的確に測定するという点において、やはりセンター試験は優れたテストだと改めて認識するにいたりました。とはいえ教員目線で「面白くない」と思ったのも事実。知識・技能と思考力・判断力・表現力をバランスよく育成し、そして評価することがこれからの課題になってきます。

*1:大学入試センター平成31年度試験情報」

https://www.dnc.ac.jp/center/shiken_jouhou/h31.html

*2:大学入試センター試験が始まって以来初めてのことだそうです。

*3:第6問の最後の問題で、石橋湛山が著した文章を読み、池田勇人内閣の外交姿勢を石橋がどう評価しているかが問われました。形式的には従前の文書史料の読解ですが、

*4:例年2問程度で安定していますが、今年は4問出題されました。

年明けに論文を書いて思い出したこと

年明けの過ごし方

 2年ぶりに年明け早々論文を書いて過ごしています。

 2年前の今ごろは、修士論文締切直前。研究室にこもって最後の追い込みをしていたところでした。さらに2年前の今ごろは、卒業論文締切直前。学部の学生控室にこもって最後の追い込みをしていたところでした。

 今回の論文はそんな「提出できないと留年」論文ほど切実でもなく書くべき分量も少ない、勤務校の研究紀要の原稿です。それでも、紀要に載る文章となるときちんとした文章を書きたいし、昔取った杵柄というもので、つい気合が入ってしまいます。そういうわけでこの年始は、ここ数年(卒論・修論前を除く)にないほど静かに、家に引きこもってのんびり考え事をしては文章を書いて過ごしています。

 とはいえまともに書く論文のが2年ぶりともなると、やはり勘が鈍っている。全然うまく書けない。少しも原稿が進みません。論文を書くには勘も必要だと思いますが、うまく書き進めるための技術も必要だということを改めて感じます。「そういえば学生時代にはこんなことを意識していたなあ」ということを、色々思い出してきました。原稿執筆の息抜きがてら、なんとなく書いてみたいと思います。そんなに特別なことは書きません。

論文を書くときに心がけたほうがいいこと

アウトラインはあらかじめ固めておいたほうがいい

  論文に限らず、まとまった文章を書くときに時間がかかるのが、どういう構成で文章を書こうかということです。とりあえずwordを開いて、漠然と章構成を考えて執筆しようとしても、なかなか上手くはいきません。wordを開くのは、ある程度章構成が固まってからのほうがいい。

  1. 頭の中で何となく章構成を考えてみる。
  2. 書きあがったらwordに章の名前だけ打ち込む(進んだ感が出てよい)。
  3. その後ノートに章構成を書き出して、各章の内容を大まかにメモする。
  4. その内容に沿って各章を書いてみる。
  5. ある程度書けたところで、流れを見つつ全体を調整する。

 こういう流れで書くのが理想かなと、今のところ思っています。もちろん書いてみてより良い文章の流れがあることに気づく場合もありますが、それも書いてみないとわからないことです。構成を考えて、全体をいくつかのパートに小分けすることで、各パートが書きやすくなってくるというのも、メリットだと思います。

細かいことを気にせずとりあえず文章を書いてみたほうがいい

  文章を書くのに時間がかかる理由のひとつに、しっくり来る1文をなかなか書けないことがあります。これが最大の理由といってもいいかもしれません。読んですっきりする文章を書こうと思うと、1文が書けたそばから推敲にかかって、文の「てにをは」など様々なところをある程度納得行くところまで直せたところで、次の文に取り掛かる。ついそんな風に文章を書いてしまいます。とりあえず一気呵成に文章を書いてみて、ある程度まとまった文章が書けたところで推敲にかかるほうが、同じ時間で書ける量は多くなります。とはいえ自分が生み出した「駄文」に目を瞑りながら書き進めるのはなかなかに苦しい。

時間を区切って文章を書いたほうがいい

  「駄文」に目を瞑るようにするためには、書く時間に制限を設けることが有効です。1文レベルで書いたそばから推敲をしだすときは、執筆の時間に限りを設けていない場合が多いです。限られた時間である程度の分量を書かなければいけないという制約があれば、多少の文章の拙さをある程度大目に見ることができるようになる。まとまった文章に限らず、文章を書くときには制限時間を決めて書くことが重要。言い換えて、この時間は何かを書く時間と決めることが、文章量産には有効です*1。そうこの本に書いてありました。

bookclub.kodansha.co.jp

まとめ

 2年前に修論を書いていたときに「こう書き進めればうまくいく」と思っていたことは、とりあえず書くことと、とりあえず書くための時間の枠を決めておくことにまとめられるかと思います。でもこのことは、『できる研究者の――』に書いてありました。記事を書きながらふと読み返して、ちゃんと書いてありました。学生時代に読んだこの本から受けた影響は未だに残りつつも、その影響は技術としてはまだ身についてはいないようです。意識しながら書く力を高めていくことが重要だろうと思います。

*1:ここで紹介した『出来る研究者の論文生産術』では、「まずは週4時間から始めよう」と書いてありました。文章を書くことは多くの現職教員にとって優先度が低くなりがちなこと(今回の私のように校務の一環で文章を書かなければいけないという場合を除いて)です。そういう意味でも、書くことを目的にするという点からも、今年は改めてがんばってみようと思います。

発信力を高める

 2019年、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。「1年の計は元旦にあり」とはよく言うもので、今年の記事は今年の目標から。

目標:発信力を高める。

 今年の目標は「発信力を高める」こと。2つに分けて詳しくまとめていきます。

①アウトプットの量を増やす

 去年の8月に、このブログを立ち上げました。

pinkie-du.hatenablog.com

  日ごろは主にtwitterで、教育に関することを主に発信してきました。140字で思ったことをとりとめなくつぶやくことと、まとまった字数を書いて考えを整理することは全然違うもの。ブログでしか書き表せないものもたくさんあるし、書くことで自分の考えも整理できる。そういう思いで始めたものでした。

 とはいえ2018年振りかえってみると、投稿した記事は6記事のみ。書こうと思っていたネタも記事化されずに多数放置されています。自分の中で温めていても、世に出なければ考えていないことと同じである。世で正しく評価されることで、考えもより磨かれる。ブログを立ち上げたものの全然書けなかったということは、去年の大きな反省の一つです。

 ブログに限らず、日ごろの職場で思うこと、こうすべきだということを溜めずに発信すること、日ごろの実践を頭の中にとどめずに整理してアウトプットすること、いずれも重要なことだと思います。完成された綺麗な文章を出そうとするのではなく、とにかくアウトプットするということに意義があることもある。アウトプットの量を増やすことが今年の目標です。

②アウトプットの質を高める

 子どもと関わり、子どもの成長を支える仕事に就いている教員にとって、その子どもたちにどのような言葉をかけるかは、きわめて重要で、敏感にならねばならないところです。授業中の説明ひとつとっても、使う言葉や話す順番次第で子どもの理解は大きく変わる。教員が投げた何気ない一言が生徒の励みになることもあれば、生徒を傷つけることもある。教員の言葉は生徒にとって重いものです。それを自覚し、自らが使う言葉に対する意識を高めていく。それがひいては自らのアウトプットの質を高めることにもつながっていく。

 

 さて今年はいくつ記事を書けるのか。忙しさを言い訳にせずに、アウトプットをサボらない。2019年もがんばります。

2017年のプレテストの感想を振り返ってみよう。

 気づいたらずいぶん長らく更新が滞っていました。ブログを続けるのは難しい、書きたいことはあるけれど仕事終わりにパソコンに向かって、自分の思考をまとめるのには相当なエネルギーが要る、そんなことを感じています。

 それはさておき、今週末の土曜・日曜日は、大学入学共通テストの試行調査が行われます。昨年度の試行調査よりも規模が大きくなり、昨年度の問題の反省も踏まえ、より2020年度の共通テストに近い問題が出題されることになるでしょう。私も解いたうえで、レビューを書きたいと思っています。

 今年の問題について考える前に、昨年の試行問題を解いた感想をまとめてみたいと思います。それを念頭に置いたうえで今年の試行調査を見ることで、見えてくるものもきっとある筈です。ツイートべた貼りの記事ですが、どうぞご覧ください。

 

 

日本史のマークテストにおける「正しいもの」「適当なもの」とは?

はじめに

 先日とある研究会に参加して考えたことから書き連ねるシリーズ第2弾。ちなみに前回の記事はこちらです。

 

pinkie-du.hatenablog.com

 

 今回取り上げたいのは、社会科をはじめ多くのテストで登場するこの文言について。今回の記事では特に日本史のマーク式のテストを想定しますが、「正しいものを選べ」「適切なものを選べ」にはじまり、「正しい語句を記せ」「適切な語句を埋めよ」など、社会科のテストでは「正しい」「適切な」という語句が散見されます。ほとんどの場合ではそれは、「事実として」正しいということを指してきました。しかしながら果たしてそれだけでいいのか。それについて、

  1. 「正しい」「適切な」とは果たして事実的なものだけ指すのか。
  2. それを踏まえ、われわれ教員は作問をする時に何を心がけるべきなのか。

 この2点について少し考えてみたいと思います。

「正しい」「適切な」とは果たして事実的なものだけを指すのか。

 社会科とは「内容教科」であるとしばしば言われます。特に高校の日本史とは「我が国の歴史の展開」を理解することを目指す教科であるとされており、授業において正確な事実を伝えること、そしてそれが確実に身についているかを評価することは、日本史の学習において最も重要なことであると言っても過言ではありません。現に授業を組み立てる際やテスト問題をつくるときには、事実のファクトチェックに相当入念に取り組みます。

 これまでのテストでは事実に関する知識の理解を問うことが多かったこともあり、「正しい」というとそれはとりもなおさず「事実として」という枕詞がつくものだと考えられる場面がほとんどでした。しかし、これからの試験では必ずしもそうはいかなくなっている。2017年11月に行われた大学入学共通テストの試行問題(以下:プレテスト)を例に考えていきましょう。なお、その問題については大学入試センターのホームページからダウンロードできます。

 例えば、第4問の問4の問題。

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 a~dの選択肢そのものは、歴史的事実としてすべて正しいものです。しかし、ここでは「那覇市の昆布消費量が多いことの歴史的背景となる」事項として適当なものの組合せを選ぶことが求められています。すなわち、「ある事実の背景として」適切かどうかを問う問題であると言えるでしょう。

 もう一問、第5問の問2を取りあげてみます。

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 この問題では、ある歴史的事実に対する「評価とその根拠」の組合せとして適当なものの組合せを選ぶことが求められています。X・Yの各文からわかるように、賛否両論の評価に対し、どの根拠によって立つことが妥当なのかを測る問題です。

 

われわれ教員は作問をする時に何を心がけるべきなのか

 先日出席してきた研究会でも、問題作成において(当然ながら)多くの先生が問題文に「正しいものを選べ」「適切なものを選べ」の語を用いていました。しかしその多くは、従前からの「(事実として)正しいもの」に留まっていたように感じます。また、チャレンジングな作問をする一方で単に問いには「正しいものを選べ」としか記されておらず、どのような観点で「正しい」ものを選ぶことを求めているのか不明瞭なもの、場合によっては問いが成立していないものを見受けられました。

 プレテストの問題自体には批判も多く、今後さらなる修正がくわえられていくことが考えられます。それについては、今年11月に行われる試行調査での動向を注視する必要があります。しかし、これからのテストの方向性そのものは、大きく変わることはないでしょう。すなわち、年代配列や語句選択、正誤判断など「事実として」正しいものを選ぶ問題にとどまらず、その背景や評価とその根拠など、「推論のプロセスが」適切なものを選ぶ問題も増えてくるということです。

 今後テストにおける「正しい」「適切な」が何を以てなのかという選択肢がより広がっていくことは間違いありません。授業においても事実として正しい知識を獲得することにとどまらず、そこから歴史的な見方・考え方を働かせて思考・判断・表現する活動がより重視されていくことからも、その流れは間違いないものだといえます。だからこそ、われわれ教員は1つの問題で何を測りたいのか、そしてそれを確実に測定するためにも「いかなる観点から」正しいものが何かと問うているのか、明確に示す作問を行わなければいけないでしょう。